眼の前には白いテェブルが広がっていて、
その上には何千という皿が載っている。
皿の上には古今東西の豪奢な料理がそれぞれ載っている。
テェブルは無限に伸びていて、その両端は闇へと消えている。
わたしは片端から料理を口に入れるのだが、空腹感はいっこうに消えようとはしない。
腹がくちくなるどころか、食べれば食べるほど、いっそう満ち足りぬ思いに捉われる。
いつから食べ始めたのか分からぬまま、
わたしは永遠の咀嚼を続ける。
どれだけの時間が流れたのかわからない。
未だに空腹も食欲も消え去らぬのだが、さすがにあごが疲労した。
料理を口に運ぶその手を止め、小休止を取ろうとした。
「飢えは癒えたのかい」
闇の奥から声がして、そうかわたしは飢えていたのかと思い至った。
まだだ」
声の主はわからぬままだったがそう応えてみる。
「おまえはあの頃からずっと飢えたままだね」
闇の声が言う。
「あれは、天保の頃だったね」
そうだ、あれは確か天保七年丙申の年だった。
言われてみて、そう思い出す。
腹の中に、どこまでも深く底の見えない、暗黒の飢えが広がっていった。
天保の頃だった。
村々は何年にも渡って飢えに苦しんでいた。
赤子は乳を求めて声なき泣き声をあげ、
老いたる者は静かに死んでいった。
後の世には悪天候による凶作が飢えの源と伝えられているが、
実際はそうではない。
たった一羽の鳥が、全ての災いをもたらしたのである。
ほんとうに大きな鳥であった。
時の将軍、徳川鮒吉が酉年生まれであったため、
村人たちはその鳥を傷つけることを禁じられていた。
そのためその鳥は増長し、村の畑のヒエやアワ、あろうことか稲まで食い荒らし、
三年にも渡る食い放題の暮らしにより、身の丈九尺にもなろうかとしていた。
殺るしかねえだ」
作物を食い荒らされ、追い詰められた村人たちは夜な夜な寄り合いでそう話しあった。
「あの大きな鳥がいる限り、どんなに稲やアワを作ってもわしらの口には一粒も入らん」
村長がそう言う。
疲れ果て、絶望に打ちひしがれた村の者たちが無言でうなづく。
囲炉裏の火が、いくつもの顔を照らす。
誰も口を開かない。
ぱちり。
火がはぜる。
「………だが、誰がやる?」
鳥を殺せば打ち首獄門は免れない。
酉年生まれの鳥公方と陰口を皆叩きはするものの、
将軍に逆らえる者などいるわけがない。
無言。
「………わしが殺る」
今から百数十年前、
わたしはそう答えた。
草叢で、その巨大な体を休めていた。
おのが羽の下にその頭を突っ込み、低い寝息を立てていた。
静かに鳥に近寄り、狙いを定める。
一息だ、一息で殺る。
鎌を振り上げ、大鳥の首根をめがけて一気に振り下ろした。
殺された知らせは江戸に届き、わたしは打ち首獄門となった。
村に飢えをもたらした大鳥はこの世から姿を消し、
伝え聞くところによるとその肉は密かに村人たちに振舞われたという。
大鳥によってもたらされた飢えは、
大鳥によって癒された。
だがしかし、わたしは飢えから解き放たれることなくこの世から去り、
永遠に孤独と空腹に苛まれている。
村人たちを救った、英雄というわけだね」
追憶から我にかえったわたしに、闇の声がいう。
ああそうだ、わたしは英雄なのだ。
「だがおまえの名は、誰にも伝えられることはなかった」
そうだ、わたしの存在は
何千何万という飢えに苦しみ死んで行った者たちの間に埋もれていったのだ。
「おまえを苦しめ、死に至らしめた者の名もまた、
歴史に刻まれることはなかった」
ああそうだ、彼らもまた、
暴虐と理不尽に満ちた人類の歴史の中では
注目に値しない平凡なものなのだから。
何者かも知れぬ闇の声よ。
おまえも歴史の教科書で見たことがあるだろう。
首を切り落とされ、闇雲に走り回る巨大な鳥、
まわりで逃げまわる村人たちの恐怖の顔。
あの巨大な鳥、貪欲で獰猛で、傍若無人なあの大きなニワトリこそが
後の世にいう
天保の大チキンだったのだよ。
んー、やっぱり君の嘘はすばらしい。
歴史の裏側には常に史実に残らない事実が隠されているものです。同じ史実であっても、切口を変えて検証すれば全く別の真実が浮かび上がるということもままあります。
これを読んで、歴史は唯一実証不可能な科学であるということを改めて感じましたね。
嘘ですが。
歴史が書き換えられ、真実が隠されても、微力ながら、それに抗して行きたいと思います。たった一人の、真実の語り部として。