2003-04-01 四月の魚

_ 一冊の本との出会いが

その後の生き方を変えることがある。

ある人にとっては欧米の小説であったり、

ある人にとってはアフリカの写真集だったりする。

ぼくにとっては一冊のマニュアル本が、人生を変えた一冊であった。

_ だいぶ昔のこと、

見知らぬ街をぶらぶらと歩いていたら、一軒の古書店をみつけた。

今みたいにこぎれいで、新品の古本しか置いていないブックストアなんかではなく、

由緒正しい古ぼけた店であった。

床から天井まで、本、本、本。

一冊一冊の本が持つ歴史の重さで、店内の空間がわずかに歪んでいるくらいである。

_ 薄暗い店内を

物音を立てないように歩く

湿ったほこりのにおいのする店の本棚で、いつ果てるとも知れない眠りについている

古い書物たちを起こすのがはばかられたからだ。

_ ゆっくりと丁寧に

本棚を見て回る。

色あせた背表紙に、さまざまな題名が踊る。

名前だけしか聞いたことのないような本たち。

そっと一冊手に取り、表紙を開く。

青い万年筆のインクでこんな文字が書いてある。

「昭和17年7月 神田にて購入」

_ 元の持ち主が

書き込んだであろうその文字は、少しにじんでいるが十分読めるものであった。

何十年も前の、おそらく本を買ったばかりの日に持ち主が書き入れたであろうその文字。

持ち主はきっと、少し誇らしく、高揚した気分で万年筆を取り出して

それを書いたのだろう。

どのような経緯があったかはわからないが、それからその本は売りに出され、

こうしてぼくの手の中にある。

何十年の時間を超えて、持ち主とぼくが、その本をはさんで向かい合う。

なんとも不思議な気分になり、その本を購入することに決めた。

_ だいぶいい値段だったと

記憶している。

だが、家に帰りその本を開いた瞬間、ぼくのそれまでの生き方が180度変わった。

その本の中には、すべてが書かれていた。

ぼくらが生きるこの世界の、ほんとうの姿が描写されていた。

どんなささいな一節にも学ぶところがあり、どんなページの行間にも

言葉があふれていた。

おおいに興奮し、一晩眠らずに読み通した。

やがて夜が明けて、空が白く染まるころ、その本はほぼ終わりかけていた。

今までとは一切が違って見える。

ぼくは世界の、真実に触れた。

最後の一ページを読み終わり、その本を閉じた瞬間、ぼくのそれまでの生き方が、

さらに180度変わった。

_ それ以来、

困難な状況にあるとき、なにもかもが行き詰ったとき、ありとあらゆるときに、

その本を開く。

いつでも答えはその本の中にあり、何度助けられたかわからない。

実を言うとこの日記を書くときもその本を参考にしたこともある。

_ その本の名は、

「最新版 嘘ノツキカタ '42」と言う。

残念ながら先日の大掃除で紛失したらしく、

ここのところ日記が精彩を欠くのもそのためなのだ。